どうして、と女の唇が動いた。
どうして、と女の息が洩れた。
どうして、と女の声が響いた。


「どうして、ムウ!ナタル!!」


女の悲鳴に、けれど彼らは顔色一つ変えなかった。




それが答えだと、彼は笑った。




意識を失っている男を一人、保護した。
キラが堕した連合のMSのパイロット。戦い方に覚えがある。そう言うキラの言う通り、AAの誰もが知る男だった。

ムウ・ラ・フラガ。

先の大戦で失われた人。
顔には大きな傷があり、波打つ髪は肩まで伸びていたけれど、それは確かにその人だ。間違いはない。
年の為にと調べたDNAもぴたりと一致したのに、艦内は喜びに溢れた。
生きていた。生きていた。生きていた。
特にムウの恋人のマリューは声なく涙を溢れさせ、床に膝をついて立ち上がれないほどだった。
けれど何故ムウがいまだ連合にいるのか。その疑問はムウが目を覚ましてすぐ判明した。
記憶操作。洗脳、だ。

ムウはネオ・ロアノークだと名乗り、マリューのことはおろかAAの誰をも知らないと言った。冷たい目で、冷たい声で。
彼にはネオとして生きた記憶があった。ムウという男が自分とは違う場所で生きていたという記憶があった。
それは違う。あなたがムウなのだ。そう誰もが訴えた。あなたはネオではない。ネオなど本当は存在しない。あなたはムウだ。
その声に初めは突っぱねていた彼は、次第に考えるような素振りを見せ始め、ついには態度を軟化させた。
そして誰かが語るムウの記憶に反応を見せ始め、まだ誰も語っていないムウの記憶を口にするようになった。
毎日ムウの元を訪れていたマリューに、昔のように優しく見つめることが増えた。
ムウの記憶を思い出してきたのだ。自分がムウだと気づいたのだ。納得したのだ。
誰もが喜び、安堵した。そしてマリューとムウの再び訪れた幸せを祝福した。

のに。




AAのシステムが停止した。キラがそれをすぐに修復させたけれど、その一瞬の間に連合の艦が接近していた。
砲台がこちらに向いており、MSが三機こちらを囲んでいた。動くことさえままならない状態。どうしてそんな状態に。
その答えはすぐに出た。

「どうしてこんなこと、ムウ!」

マリューが信じられないといった目で見れば、ネオが操作していた手を止めて振り向き笑った。誰もがその威圧感に肩を震わせた。
ブリッジで支配者然と立つムウが何をしたのか、それを誰もが分かっていた。
ムウが連合をAAへと招き寄せたのだ。システムを停止させたのもムウ。
何故そんなことをするのか。AAへと連合の兵達が入り込んでくるのを止めることもできず、マリュー達は目を揺らす。

「俺はネオだ。ネオ・ロアノーク。お前達のムウ・ラ・フラガじゃあない」

冷たい目、冷たい声。それに愕然とした。
何を言っているの、そう唇が動いたその時、ブリッジのドアが開いた。
自然そちらに向く目に映ったのは、連合の軍服を着た三人の子供。

「ネオ!」

子供が三人、ネオへと走り寄る。
一人は金の髪の少女。ネオにステラと呼ばれて、優しく笑って抱きしめられた。
一人は水色の髪の少年。ネオにアウルと呼ばれて、くしゃくしゃっと頭を撫でられ、やめろよおっさんと身をよじった。
一人は緑の髪の少年。ネオにスティングと呼ばれて、何ドジしてんだよと睨みつけた。
そしてその間にAAクルーを囲んだ連合兵の間から、カツンと高いヒールの音をさせて、女性が一人姿を現わした。

「お元気そうで何よりです。ロアノーク大佐」

艶やかな黒髪の理知的な容貌の女性の姿に、マリュー達は目を瞠った。
ああ、あの女性は。


「ナタル!?」


マリューが叫んだ。

頼もしい部下。
誰にも己にも厳しい部下。
優しい友人。
ムウを殺した仇。
マリューが殺した相手。
ナタル・バジルール。

ナタルは以前と変わらぬ姿でもって、お久しぶりです、ラミアス艦長と言った。

「生きて、らしたんですか?バジルール中尉」
ノイマンの声に含まれる歓喜。それは誰もが同じで。けれどマリューはその中に不安と不信を含んだ視線をナタルへ向けた。
ナタルはマリューから視線を外し、ムウへと歩いていく。ムウがよお、と片手を上げるのに、ナタルが息をつく。
そして咎めるようにムウを見た。

「指揮官としてなさっていい失態ではありません」
「いや、悪かった。けどお前さんとリーがいるからな。心配はしてなかった」
「大佐!こちらの苦労がどれほどだと思っていらっしゃるのですか」
「本当、悪かった。反省してるよ」
「態度で示していただきますので、覚悟なさってください」
「げえっ!」

ぽんぽん言い合う二人に親密な関係を見て、マリュー達は複雑な顔をする。
あの二人はあれほどに仲がよかったろうか。ナタルはムウにあれほど砕けた態度をとっていたろうか。

ステラがネオ、トイレ掃除だよと顔を上げた。アウルが一週間だってさ、と楽しそうに笑った。
スティングがデスクワークも溜まってるぜと口元を上げた。
情けないくらい顔を歪めたムウが、慈悲はとナタルを見れば、あると思いますか?と一刀両断。
クルー一致で決まりましたと追い討ちをかけられ、ムウががくうっと肩を落とした。

「ネオ、大丈夫?」
ステラが顔を覗きこむと、ネオがぎゅうっとステラを抱きしめた。
「ステラはいい子だなあ!」
「ステラ、ネオ大好きだよ?」
「俺も大好きだ!」
ぎゅうぎゅう抱き合って愛を告白しあう二人に、アウルがおっさん変態くさいってと冷たい目を向ける。

「ナタル!一体どういうことなの!?」
そんな様子に、マリューが耐えかねたように叫んだ。
振り向いたナタルに、マリューはぐっと胸元で拳を握り、ナタルは感情を見せない目でマリューを映し、軽く首を傾けた。
「どう、とは、どのようなことを指しているのでしょうか」
「どうしてあなたがここにいるの?どうしてムウと一緒にいるの?」
震える声に、ナタルは不思議そうに瞬きした。
「私が大佐の副官だからです」
考えれば分かることでしょう、と言わんばかりのナタルに、マリュー達がえ、と目を見開いた。
副官?ナタルがムウの?けれど確かにそう考えればムウの側に立つ姿に納得はいく。
けれどナタルがムウを好いていたことを知るマリューは、どうしても眉を寄せてしまう。

「俺達ファントムペイン自慢の美人で優秀な副官でね。俺の女房役もこの子達の母親役もそつなくこなしてくれる」

時々不慣れな様子を見せるのがまた可愛くてたまらん、と頷くムウの声に喜色が含まれているのに気づき、マリューは痛そうに顔を歪める。
その前でナタルが頬を赤らめ、大佐!と嗜め、少年二人がエロ親父と詰めたい視線を送った。
それにも懲りず、ムウは自分に抱きついているステラを見下ろす。

「なあ、ステラ。ナタルはステラ達のママだよな?」
「うん」
「ママ、可愛いよな〜?」
「うん!あのね、きれいでかわいいの!」
「な〜?」

笑って頷くステラに、我が意を得たりといわんばかりに胸を張ったムウに、少年達が顔を見合わせ肩をすくめ、
ナタルが額を押さえて首を振った。そして腕にかけていた黒の上着を広げる。
「わかりました。もう結構ですので、こちらをどうぞ」
いつまでもアンダー一枚などというみっともない格好を、子供達に晒さないでください。
それにムウがお、サンキューと言って、ちょっと離れてなとステラを離す。ステラは素直に離れて、少年達の間に移動した。
その代わりにナタルがムウの側に寄り、上着を羽織る手伝いをする。
それを睨みつけるような、泣き出しそうな顔で見るマリューにナタルは視線を向ける。

「今の私は先の大戦で負った傷が元で、軍人として戦うことがままなりません。
けれどそんな私でもいいと大佐は言ってくださり、私を拾ってくださいました」

ナタルはムウの前に回って襟しっかりと立たせ一歩下る。一通り目で追って可笑しなところがないかをチェックする。

「戦うことはできませんが、教えることはできます。助けとなることはできます。それが必要だと言ってくださいました」

軍人になるために育てられた。軍人としての道しか歩んでこなかった。それ以外の道など知らない。
だからどれほどありがたかったろう。そして必要だと言ってくれるその言葉がどれほど嬉しかったろう。
だから、とナタルがマリューと向き合う。


「私の全てはネオ・ロアノーク大佐のためにあります」


どうして一緒にいるのか。それが答えの全てですと笑うその姿は、今までで見たどのナタルよりもきれいだった。それに息を呑む。
元々美人だと評することができる女性だ。けれどこれほどまでに美しい人だったろうか。
そのナタルの腰をムウが後ろから抱き寄せたのに、ナタルに見惚れていた面々が意識を戻す。
「なっ、大佐!」
自分を捕らえる腕から逃れようとするナタルが頬を染め、ムウに離すように訴える。けれどムウは聞かない。
聞かずにマリュー達に視線を向ける。

「なあ、俺はネオだよ。ナタルもそれを承知してる。その意味が分かるか?」

それにキラがマリューを庇うように前に出て、ムウを睨みつける。
「あなたはムウさんです。マリューさんの恋人で、僕らの仲間のムウさんです」
マリューの前で他の女性を抱きしめるムウを、キラは苛立ちと共に悲しそうな目で見る。その隣でラクスが咎めるような視線でムウを見る。
「そうですわ。遺伝子も一致いたしましたし、あなたもムウ・ラ・フラガの記憶を取り戻していらっしゃいました」
ずっと偽りの記憶を埋め込まれていたのだともう気づいているだろう。なのにどうしてネオであろうとするのか。
責める口調のラクスに、キラが頷いた。
「ナタルさんだって分かりますよね?その人はムウさんだって」
ナタルだってずっとムウといたのだ。なのに気づいていないはずはない。
キラの視線にムウの腕から逃れようとしていたナタルが顔を上げる。そして頷く。
「そうだな。気づいていた」
ほら、とムウに顔を戻すキラに、けれどナタルはだが、と続ける。

「同時にこの人はネオなのだと理解した」

「え…?」
キラがナタルに視線を戻し、マリューが身を乗り出した。
「何を言っているの、ナタル!!」
彼はムウよと叫ぶマリューに、ナタルは首を振る。
「この人はムウ・ラ・フラガであり、ネオ・ロアノークでもある。
大佐はネオとして過ごしてきた日々がある。築いてこられたものがある。それを否定することはできません」
「私達だって否定しているわけではないわ!」
「してるだろ?」
「ムウ!!」
マリューの声が悲痛に響く。

どうしてそんなことを言うの。どうしてそんな冷たい目で見るの。どうして側にいてくれないの。
今でも愛しているのに。ずっとずっとあなたを想ってきたのに。

「ばっかばかし」
アウルが飽きたようにふいっと顔を逸らし、ステラはむう、と唸った。それにスティングが二人の肩を抱いて、我慢しろと苦笑する。
子供達のやりとりを横目で、ムウは笑う。微笑ましいなあおい、という目だ。そして一転して冷めた目でマリューを見る。

「ずっとさ、ムウばっか求めてたろ?ムウはこうだった、ああだった。それは好きだった、嫌いだったのに。
そんでムウじゃないこと言ったりやったりすると顔しかめて。一致すりゃあからさまに喜んだ。それはムウの肯定でネオの否定だ」

今だってそうだろ。ネオじゃない、ムウだと叫ぶ。
そう言うムウに、そんな、とマリューがショックを受けた顔をする。

「それは、それは僕らはネオ・ロアノークだったムウさんをまだ知らないから!僕らの知ってるムウさんと違ったから!」
「ですから少し戸惑っただけなのでしょう。マリューさんもキラも、他の皆さんも」
だから責めるなと言わんばかりの二人に、ムウは軽く眉を寄せてナタルの首に顔をうずめた。
ぎゅっとナタルの腰に回した腕に力が入る。ナタルがムウを振り返って、その腕に手を添えた。

「ですがそれがあなたを不安にさせたのでしたら申し訳ありませんでした。わたくし達はただあなたに思い出していただきたかったのです。
覚えている者、いまだ心残している者にとって、忘れられている現実は辛いものです。
そして自覚がなくとも忘れていらっしゃるあなたも辛いはずですわ。ですから少しでも思い出していただきたかったのです」

自分はムウをよく知っているわけではないけれど、酷く慕われている人なのだということは知っている。
だからマリュー達が否定するはずがない。否定されたというそれは間違いなのだ。
時間が経てばマリュー達もネオとして生きた日々を聞き、それを受け入れられる。その心の余裕もできる。
だからナタルだけがムウの中のネオを肯定しているわけではない。
そう言ってラクスは微笑み、マリューを見る。それにマリューも頷く。

「私達はあなたが歩んできた道を否定したりしないわ。
あなたにムウの記憶を思い出してほしいと、そればかりに気を取られてあなたの不安に気づかなかった。
そのせいであなたが否定されたのだと思ったのは当然ね」

ごめんなさい、とマリューは頭を下げる。そして顔を上げると微笑む。

「ラクスさんの言う通り、私達はあなたの中のネオもあなただと受け入れるわ。
だってあなたが何であれ、私達にとってあなたは大切な人なのですもの」

キラが頷く。後ろに並ぶAAクルー達が頷く。けれど彼らはぐっと腕に力を込めたムウを更に傷つけたことに気づかない。
ムウの記憶を取り戻しているのは確か。それをネオの記憶も持つ彼が自分の中でどう処理しているのか。
それが重要なのだ。それが優先されるべきなのだ。当人の問題なのだから。
二つの記憶を持つのはムウで。それに混乱するのもムウ。そしてそれを処理するのもムウでしかない。
周りの意見が助けになることもあるだろう。けれど彼らのそれは押しつけだ。

あなたはムウだ。ムウであるのが正しいのだ。けれどネオとして生きた日もあるのなら、それも受け入れよう。
ネオとして生きたムウもまたあなただ。そういうことでしょう?

優先されるべきは周りではない。

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