皆を救いたい。世界を平和にしたい。
いつだってアスランはその願いの元、集った仲間達の中で異色だった。自分でも分かっていた。ただ気づいていないふりをした。
皆を救いたい。世界を平和にしたい。
その願いはもちろん持っていた。持っていたけれど、結局彼が守ろうと必死になるのは彼が守りたい大切なものだった。『大切な人達』皆を救いたい。『大切な人達がいる』世界を平和にしたい。そういうことだった。
それが悪いわけではない。誰もがそうなのだから。
けれどアスランはそれに気づかないふりをする必要があった。『大切な人達』の側にいるためには。
アスランの『大切な人達』は心から叫んでいるからだ。皆を救いたい。世界を平和にしたいと。だから側にいるためにはアスランもそう叫ぶ必要があったのだ。そしてアスランにとってそう叫べる彼らが眩しく見えた。自分にはできないそれを叫べる彼らを尊敬すらしていた。
そのためにアスランはもう一つ、気づいていないふりをしているものがあった。
確かにアスランの『大切な人達』は皆を世界をと叫んでいるのだけれど、結局のところ彼らの行動は『大切な人達』皆を守るもので、『大切な人達がいる』世界を平和にしたいものだ。
それに気づいていないふりができなくなったのは、彼らが自国より己の身の自由を優先させたことであり、彼らがアスランが守りたいものを傷つけた時であり、彼らがアスランを非難した時であった。

ああ、彼らも一緒なのだ。アスランと同じなのだ。

ただ、それは安堵を運ばなかった。それは絶望であり、それは裏切りであった。
何故なら彼らはそれに気づいていなかった。彼らは世界を救うのは自分達の行動でしかないと信じていた。絶望。
何故なら彼らは自分達の声が届かないと知るや、アスランの守りたいものを攻撃した。それは皆に世界に当て嵌まらないのだと言わんばかり。裏切り。
彼らにアスランの声は届かない。届かない。届かない。


『僕は君を撃つ!』


そうして最後は水の中。

絶望。裏切り。絶望。裏切り。絶望。裏切り。その果てに見えたものは。


Sacrifice

「アスラン!」

よかった、目が覚めたのね、と笑みを乗せた顔が見えた。目には涙を浮かべていて、溢れる、と思った瞬間、笑みが崩れた。
よかった、よかった、もう目が覚めないかと思った、と泣き顔。
涙を拭うことも顔を隠すこともしないで、横になったままぼーっと見ているアスランから目を離さない少女はよくよく知った顔だった。けれどそのよくよく知った顔からは見たことがない表情だった。見たことがない表情だ、けれど…けれどああ、けれど知っている。顔だけでなく体全体で感情を表す少女を知っている。知り合ってまだ日が浅いけれど。

「み、あ?」

ミーア。ミーア・キャンベル。アスランの元婚約者であり、プラント国民から慕われる歌姫ラクス・クラインの不在を埋めるためにその名を名乗る少女。
その少女が泣いている。よかったと笑って、よかったと泣いて。アスラン、と泣いて泣いて泣いて。目を逸らしたら消えてしまうのではないかと怯えるようにアスランから目を逸らさずに泣く。
どうした、と起き上がろうとして体中に走る激痛。呻けばミーアがいやあ!と叫ぶ。
「動いちゃだめよ、アスラン!あなた、全身大怪我なんだから!」
「け、が?」
「そうよ!しかも二週間も意識戻らなかったのよ?だからあたし、あたし…っ」
ふえっと泣き止んだと思ったミーアがまた泣き出した。ぎゅうっとアスランが寝ているシーツを小さな両手が握る。
「このまま目、覚まさなかったらどうしようって…っ」
だから無茶しないで、とボロボロ涙を零す。
ああ、涙のひとつくらい拭えたら、と思う。どうやら泣かせたのはアスランらしい。だからそれぐらいしたいのに、腕一つ動かすのに痛みが走る。
「目、覚ましてよかった。生きてて、よかった、あすらん…!」
「み、あ」
よかったあ、と笑って泣くミーアに、どうしてだろう。涙が零れた。

世界は回る。回る。回る。
アスランの気持ちを置き去りに、回って回って回って。
どうしたらいいんだろう。どうすればいいんだろう。何をすればいいんだろう。
そうぼーっと思うその隣にミーアが立っている。そしてアスランの腕に抱きついて、あっちに行きましょと笑う。あっち、とミーアが指差す方を見て首を傾げる。何があるんだ?ミーアはんー、と首を傾けた。
とりあえず行ってみない?どこに行けばいいのか分からないんだし、気になる方に行ってみて、それからそこにいるもよし。別の場所に行くもよし。一緒に考えましょ?
きょとんとした。そしてミーアを見る。一緒に?一緒に。いっぱい話して決めましょ?ね?と笑ったミーアに、泣き出しそうな笑みを浮かべて、ああ、と頷いた。
たくさん話して、話して、そうして決めよう。

一緒に。

ミーアさん、とラクスが微笑んだ。気に入らない。
一緒に行きましょう?とラクスが手を差し伸べた。気に入らない。
わたくしはあなたを助けにきたのです、なんてどの口が言うのだろうか。だってラクスがミーアを追い落としたのに。ラクスがミーアの正体をばらしたのに。ミーアを助けにきたのだというのなら、どうしてミーアを助ける準備をしてくれなかったのだ。どうしてミーアが助けてと叫ぶまで放っておいたのだ。皆を救いたいのに。世界を平和にしたいのに。なのにどうして見捨てようとしたのだ。

ああ、気に入らない。気に入らない。気に入らない。

ミーアを見るその目が。優しさと慈しみと憐憫が乗ったその目が。
ミーアに語るその声が。優しくて柔らかいその声が。
ミーアに差し伸べるその手が。優しさと強さを乗せたその手が。

ラクスの後ろにただ立っているだけのキラさえ気に入らない。
何も語らないけれど、その目がミーアを見ている。ラクスのように憐憫を乗せて。けれど見える。不快だと言っている感情が。
それはそれは不快だろう。恋人と同じ顔、同じ声で恋人の名前を名乗り、恋人がいた舞台で恋人の平和ではない平和を語った少女だ。ラクスも不快であったろうに、今はそんな感情はないらしい。自分が完全に優位に立ったからだろうか、なんて意地の悪いことを考えてみる。だって今のミーアに後ろ盾はない。今のミーアの後ろに脅威はない。今のミーアはラクスに助けを求めてきた憐れな少女でしかない。ラクスが差し伸べる手を待っている可哀想な少女。

ああ、気に入らない。

ラクスがミーアに近づく。床にへたり込んだミーア。ごめんなさい、と助けて、と泣くミーア。そのミーアに近づいて、差し出したままの手をそっとミーアの目の前へ。

近寄るな。ミーアに、ミーアに近寄るな。

ミーアの手が持ち上がり、震えて、そして引っ込められる。ラクスは微笑みながらもう片手でミーアの手を取って、差し出したままの手に乗せた。

触れるな。ミーアに、ミーアに触れるな。

顔を上げたミーアにラクスが微笑みながら、もう大丈夫ですとミーアを立ち上がらせた。そしてミーアの手を乗せたまま、もう片手をミーアの背に置いてキラを振り返った。
帰りましょう、キラ。そうだね、ラクス。そうして二人がミーアを見て、ミーアさんも一緒に、ね?行こうか、二人共。そうして足を踏み出す。AAに帰るために、呼び出された場所を後にしようと一歩一歩。

そこを、撃つ。

一発目はラクスの腕を。ミーアの背に置いてあった手が離れた。悲鳴。崩れるラクス。駆け寄るキラ。大丈夫とラクスの側に膝をついて、ラクスを腕の中に。そして辺りを険しい顔で見渡す。
馬鹿だな、キラ。銃撃のすぐ後にそんなに無防備で。何のためについてきたんだ?護衛もなしに。何のための銃なんだ?構えるくらいしろよ。
二発目はキラが構えもせずにただ持っているだけの銃に。悲鳴。弾き飛ばされた銃を呆然と見ているキラ。拾いに行くこともない、銃弾から隠れることもない。馬鹿だな。そう嗤った時、ようやくキラがラクスを連れて建物の影へと移動した。遅い。本当なら二人共もう死んでいるというのに。
ラクスがミーアさんは、とキラに。そういうところは流石だと感心する。彼女は何だかんだで切り捨てるまでは他者に目が届く。対してキラはすっかり忘れていたのだろう。はっとしたように振り向いて、君も早く!と声を上げた。
呼ばれたミーアはキラが弾き飛ばされた銃へと走って手を伸ばしていた。危ないから早く!ミーアさん!二人が叫ぶ。叫ぶけれど、ラクスがミーアへ駆けようとするのをキラが止めて。キラはその場から声をかけるだけ。早く!
仕方がない。キラはMS戦以外の戦いを知らない。それにミーアはキラが命をかけてまで助けようと思う存在ではない。キラは無意識にだろう、ミーアがここで死ぬのならそれは仕方がないと思っている。ミーア自身が助かろうとしなかったのだから。

ミーアが銃を手に取って、でも!と叫んだ。銃がないと、と叫んだ。そんなのいいから、とキラが叫ぶ。もう一丁持ってるから、ではなく、そんなの。自分達の身を守るものだというのに。
嗤って、カツン、と踵を石畳の上で鳴らす。カツン、カツン、とゆっくりと音を鳴らす。一気に警戒し出したキラとラクスが厳しい顔でこちらを見て、驚いたように目を大きく開いた。キラに至っては口すらも。
振り向いたミーアが拾った銃を腕に抱いたままこちらを見た。
アス、ラン?とキラが声を洩らすと同時に、ミーアがぱああっと顔を輝かせた。

「アスラン!!」

そして駆け寄ってくる。そのまま飛び込んでくるミーアをしっかりと腕の中に。背にミーアが持っている銃の背があたる。危ないから、と一度離してから銃の安全装置を確認してまた抱きしめる。ぎゅうぎゅうと背を抱いてくるミーアがアスラン、アスランと繰り返すのに笑みが洩れる。
そこにカタン、と音。顔を上げればキラがラクスの側を離れて建物の影から出てきたところだった。短い階段を下りて、アスラン、だよね、と声。ああ、と返せば、よかった、無事だったんだね、と笑みが。ずっと探してたんだよ、なんて都合のいい台詞。自分で堕としておいて無事を喜ぶのか。自分で堕としておきながら探したのか。確かにずっと戦場には出なかった。出れなかった、が正しいのだけれど。キラがくれた怪我のおかげで。…いや、これは自分をキラが撃つはずがない、なんて馬鹿な油断と過信のせいでもあったのだから、キラばかりが悪いわけでもないか。
ミーアを腕に抱いたままそんなことを思ってキラを見ていると、こちらに駆け寄ってこようとする。それをラクスが止める。キラ!と叫んで、振り向いたキラにいけません、と首を横に振った。こちらを見たラクスの目が厳しい。
ああ、流石に聡いですね。その通り、その通りですよ、ラクス。
どうしたの、ラクス。キラの言葉に、こちらにいらしてください、とキラを呼ぶラクス。戸惑った様子のキラがラクスの側に戻ると、アスラン、とラクスが呼ぶ。

「ミーアさんをどうなさるおつもりですか」

返せと。離せと。ラクスが言った。それに対してうっすらと笑みを浮かべる。目はきっと笑ってはいない。当たり前だ。この世で唯一大切なもの、それを奪うのだと彼女は言っているのだから。
ラクスとキラが怯えたように見えた。誰だ、と思ったのだろう。得体の知れないものを見る目が向けられた。
「どういう了見なのでしょうね。護衛もなしにこんなところまでのこのこといらっしゃって」
「アスラン?何言って…」
「そもそもご自分の立場を分かっていらっしゃるのですか?よく他の方々が許しましたね。ここは中立ですから大丈夫です、とでもおっしゃいましたか?」
愚かだ。言った人間も許した人間も。馬鹿、と言い換えた方がより侮辱された気分になるだろうか。
考えていることが分かったのか、それとも口調に現れていたのか、ラクスが眉を寄せた。
「アスラン。あなたは一体何をなさりたいのですか。それほどまでにあなたを慕っていらっしゃるミーアさんを利用して、何をなさるおつもりなのです」
「利用」
繰り返して、くっと嗤う。
キラがどういうことなの、ラクス、と叫んだ。
「これが罠である可能性はわたくしもキラも考えていましたでしょう?」
「う、ん。だからムウさんに連絡して」
「ええ、もうじきてくださいますわ」
ちら、とラクスがキラからこちらを見た。けれど焦ったアスランが見たかったのだろうか。ラクスが目を細めてまたキラを見た。いくら愚かでも応援ぐらいは呼ぶだろうと思っていたから、こちらとしては予想の範疇だというのに。
「それは正しかったということです」
「え…」
「アスランは何らかの目的でわたくし達を呼び出したのです。ミーアさんを使って」
「そんな…僕らに用があるんならそんなことしなくても」
「そうではありません。アスランはザフトとしてわたくし達に用があるのです」
「違うわ」
え、とラクスとキラがこちらを見た。キラは驚いたように、ラクスは怪訝そうに顔を歪めて。
いつの間にやらアスランの腕の中から出て、アスランの腕に抱きついているミーアが違うんです、ラクス様と笑った。


「アスランはもうザフトじゃないんです。あたしがもうラクス・クラインじゃないように」


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