敵意というものを感じるそのことを心地よいと思う人間はいないだろう。けれどそれに慣れてしまった人間にとって、その敵意は受けても流すことができるもの。
戦場で受ける殺意とは違って、彼らが寄越す敵意は嫉妬であることが多いからだ。彼らがほしくても届かないものを持つものに対する嫉妬。努力によって手に入れたものさえ、彼らにとっては生まれ持っているものと捉え嫉妬する。そんなものをいちいち相手になどしていられない。
言葉が足りない自覚はある。けれどどう言えば相手が納得するのかも分からないし、逆に口下手な自分では怒らせることにもなり余計に厄介なことになる。
だから相手に理解を求めることはやめた。放っておくのが一番だ。それで突っかかってくる人間など今までにそういなかったからだ。

けれど。

「ミリアリア・ハウ」

膝の上に頭を置いて眠る少女の髪を優しく撫でながら、一人の少女の名前を呟く。
彼女に快く思われていないことは知っていた。その理由も知っている。だから彼女が向ける敵意は当然のものと受け止めてはいた。
いた、のだが。

「ん…、あす、らん?」

ぼんやりとした目がこちらを見上げるのに微笑む。
何でもない。そう囁いてそっとその目を手のひらで覆うと、瞬きしたのだろう。手のひらにまつげが触れた。

「そと」
「ああ。放っておいていい」
どうせ何もできやしないのだから。
「ん」
小さく頷いて、少女はまた寝息をたてた。
それを聞いて手を目の上からどけて、柔らかい髪を掬う。けれど視線はドアの向こう。

「放っておけばいい」

目をすっと細めた。


隠された気持ち


「アスラン!」
「カガリ?」
怪我も治って一人で出歩くようになったアスランの腕をカガリが掴んだ。
隠れていた手首に一線の傷。疑ったのは自傷行為。けれどアスランはきょとんとした顔をして、どこでつけたんだ?と手首の傷を見下ろしている。
それにほっとする。
アスランには辛いことが多かったから。だからもしかしたら、と疑ってしまった。脆いところはあっても、自傷行為に走るような男ではないのに。
それに罪悪感を覚えながら掴んでいた手首を離すと、アスランは手首を持ち上げてその傷を舌でなぞった。

ゆっくりと。

その様にぞくっとした。
何だ今の。
覚えたことのない感覚だった。背筋を撫でるように上がっていった感覚。
ぴちゃっと音がする。アスランの舌がまた傷をなぞっている。それから目が離せない。
アスランが目だけをこちらに向けた。それにまた覚えたことのない感覚を覚えて、思わず胸元を握った。

「血の味もしないから、結構時間が経ってるな」
「そ、そうか」
「念のため消毒してくるよ」
「あ、ああ」
私も行く、といつもなら言えたのに、今のカガリの口からは出てこない。ただ遠ざかる背中を見送るだけだ。
何だったのだろう。あの感覚は。ぞわぞわとして落ち着かない、この感覚は。
熱くなる顔を隠すこともしないで、もう見えない背中を追っているカガリは、先程のアスランの視線が自分ではなく、後ろに向けられていたことに気づいてはいない。
カガリの後ろに、アスランと視線を交わした相手が、そんなカガリを刺すような視線を向けていることにも気づいてはいなかった。







「よお」
「大佐」
前から歩いてくるネオに足を止める。
その隣にステラを探しはしない。一緒にいなかったことを知っているからだ。
「格納庫はこっちじゃないだろ?どこ行くんだ?」
「どこにも。ただこちらに向かう必要があっただけです」
医務室になど行く気はない。手首の傷を消毒する気などなかった。ただカガリの手前、そう言っただけのことだ。
だってそうだ。この傷をつけたのはステラだ。ステラなのだ。彼女の心を安定に導くためにつけられた傷に消毒など必要ない。
笑うアスランにネオが、なるほどな、と笑った。視線はアスランの手首。
ネオは見ている。カガリが見つけたアスランの手首の傷。それをステラがつけるところを。ステラの爪がその肌を破り、流れた赤を舐めとるところを。そしてアスランの頬にあった傷。それすらもステラがつけた、その瞬間も。

「止めないんですか?」
「あん?」
「あなたは止めないんですか?」
大切にしているのだろうに。
ステラとアスランの関係は健全なものだろうか。傍から見て健全なものに映るだろうか。
そうではないだろう。カガリ達が見たら憤るだろう。やめろと止めるだろう。二人を引き離すだろう。なのにネオは何も言わない。何もしない。ただ見ている。
「殺されたくないからな」
誰に、とは言わない。言わないけれどアスランには通じたのだろう。苦笑が返ってきた。

殺される、というのは言い過ぎだろうか。だが、それだけの危うさを感じている。下手に刺激はできない。
確かにステラは大切だ。可愛がっている。けれどネオはステラを、いや、ステラだけではない。同じくらい可愛がっていたスティングとアウルも戦場に送り出し続けた男だ。三人の記憶を消すことを指示し続けた男だ。それがネオの役目だったのだとしても、心の片隅で罪悪感が芽生えても、それでもそれに躊躇いを覚えたりなどしなかった。
そんな男だから、ステラとアスランが健全でない関係を築くことも眺めるだけだ。

「不思議ですね」
「あん?」
「あなたは確かにフラガ少佐だというのに、全然違う」
ムウならば止めた。多いとはいえない接触だったが、それでもそれは確かなことだとアスランは思う。なのにネオは止めない。ネオとしての記憶を植えつけられたムウだというのに、眉をひそめることすらしない。
「ムウ・ラ・フラガは死んだんだろ」
ヤキン・ドゥーエの戦いで死んだ。
不快そうに吐き捨てたネオにアスランはまた苦笑する。
あまりにキラ達がネオを否定し、ムウ、ムウと呼ぶものだから、ネオはムウに対して嫌悪を抱いたらしい。彼の過去だというのに、これではムウの記憶が戻った時が大変だ。まあ、他人事だ。どうでもいいけれど。
思って、さて、どこに行こうとネオの背後に目をやって…目を細めた。
うっすらと口元に浮かぶ笑みに、ネオはぞっとしたものを感じながらどうした、とは聞かない。感じたからだ。敵意を。

「…行ったな」
「ええ」
「誰だ?」
ネオではない。ネオを通り過ぎた先、アスランに向けられた敵意。アスランには見当がついているのだろうか。
まるで稚戯に等しい。呟かれた言葉に感情はこもっていなかった。


*


「ここは、うるさい」

宇宙を眺めながらステラは呟く。
うるさい。うるさい。うるさい。凄く凄くうるさい。
アスランと一緒にいたいのに、うるさいお姫様達がやってくる。アスランに触れていたいのに、図々しい金のお姫様がアスランから離れない。ピンクのお姫様だって、フリーダムのパイロットだっていつもいつもアスランのところに来て、アスランのことなら何でも知ってる。そう言わんばかりで。


気に障る。


「アスランは、ステラの」

ギリッと硝子に爪を立てる。
嫌な音が辺りに響いたけれど、ステラの耳には届かない。

恋人だった。
婚約者だった。
親友だった。
そんなものは知らない。関係はない。必要ない。
ステラとアスランはお互いに何かを感じていて。ステラが伸ばした手をアスランが取って。
ならば何も間に入る隙間なんてないはずなのだ。お互いがお互いを選んだのだから、お互い以外に何かがあるわけがないのだ。なのに。

「邪魔」

入り込んでくる。
無理やり入り込んでくるのだ。当然の顔をして。
そしてもう一人。

「ステラ、だったわよね?一人なの?」

珍しいわね。その声の主を振り返る。
いつもアスランを見ている女。いつもアスランのことを考えている女。アスランはいつだってこの女の視線を感じていて。それが時々ステラから意識が逸れる原因となって。

「もうAAには慣れた?」

笑う女の名前はミリアリア。
アスランに恋人を殺された女。自分達もたくさんの兵士を殺したのに、アスランには殺したことを悔やめと強要する女。自分達は悔やまないのに、悔やまないアスランを傲慢だと憎む女。

「限界」

アスランが側にいれば心は落ち着く。安堵する。前まではネオだった。スティングだった。アウルだった。けれどアスランはそれ以上にステラに安寧をくれる。
けれど今、ここにアスランはいない。いるのはステラから安寧を僅かなりと奪う女。
女。ああ、そうだ。先程も、ともう一人の女を思い出す。金の髪のお姫様。

ステラがつけた傷に触れた女。覆って隠した女。
ステラがつけた傷を目敏く見つけた女。また覆って隠そうとした女。

邪魔。
邪魔。
本当に、皆、皆、邪魔。
どうすればいいだろう。排除。排除してしまえばいい。
でもどうやって?
ここは彼女達の艦。排除してしまえば、他の邪魔な人達からアスランと引き離されてしまう。
そうならないために、そうならないためにはどうすればいい?どう、排除すれば、いい?

「どうかした?気分が悪いの?」

心配そうに顔を覗き込んでくる女を見て、ああ、と思った。ああ、そうだ。そうしよう。だってアスランがこの女に一瞬でも視線を向けるなんて許せないのだから。

ふわりと笑う。
警戒ひとつしないミリアリアに一歩近づいて、そっとその胸に手をあてると、無邪気な顔で聞いた。







「戦えない恋人を戦場に送り出した人?」







ミリアリアの表情が凍った。

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