流れゆく砂のように


人は失ってから失ったものの大切さに気づくという。
けれど大切だと思っていたものを失った時、失ったものが失えないものだったのだと気づいた己の想いは何なのだろうか。
大切なのだから失えない。そんな当たり前のことはとっくに分かっていた。なのに失ってから気づいた想い?矛盾する。

やり直しはきく。けれど失ったものをどうやって取り戻せばいい?
もう一度築いていけばいい。こればかりは人の手ではどうすることもできないのだから。
けれどそれよりもっと取り戻したいものがあるのだと気づく。
何を、何を、何を。一体何を取り戻したい?その答えに手が届きそうで届かない。


「シュナイゼル兄様?」


心配そうな声に我に返る。目の前には声と同じく心配そうな表情をした異母妹。
いつの間に帰ってきたのだろう。侍女に呼ばれて少しの間席を外すと言ったのは、今し方だったように思ったのだけれど。
もういいのかい?と微笑めば、はいと頷きが返る。手に持っているのは花束。それに覚えた感情は面白くない。

「綺麗な花束だね、ルルーシュ」
「え?ああ、オデュッセウス殿下とギネヴィア殿下からいただきました」
「兄上と姉上から?」
「養生しなさいと」
ああ、と思う。オデュッセウスとギネヴィアはルルーシュと親交こそないけれど、多少なりと関わりはあった。
今回のことに彼らもまた心を痛めていたことはシュナイゼルも知っている。だからよかったねと告げる。
「あのお二人からなら警戒する必要はないよ。君を妹と呼んでいらっしゃるから」
「はい」
ルルーシュは頷きながらも困ったような表情をする。シュナイゼルが怪訝そうにルルーシュ?と呼べばいいえ、と。
どう見ても何でもないようには見えない。だから立ち上がって側に寄る。顔を上げてシュナイゼルを見るルルーシュに、何かあったのかい?と優しく問えば、ふるふると振られる首。
「ただ…」
「うん」

「何も覚えていないことが申し訳ないのです」


ルルーシュが倒れたと知らせを受けたのは一月前。急いで会いに行けば宮のものが顔を曇らせていた。
この宮の女主であるマリアンヌが亡くなってからは、ルルーシュがこの宮を仕切っていたのだ。そのルルーシュが倒れればそうもなる。
けれど他に何かあったのでは、と思ったのはシュナイゼルを見てほっとしたような顔をしたからだ。
もうどうしたらいいのか分からない。そんな様子だった。だから何があった、そう問うた。

答えはルルーシュの記憶喪失。

自分のことも実妹のナナリーのことも覚えていない。もちろん異母兄のシュナイゼルのことも。
それはシュナイゼルに衝撃をもたらした。原因は分からない。倒れた時に頭を打ったのか、他の要因があるのか。それを聞く己の中に焦りが生じた。何故、どうして、まさか。話よりも一刻も早くルルーシュの姿が見たかった。
そうして開いた扉の先。ルルーシュが他人を見るような目でシュナイゼルを映し、シュナイゼル殿下と呼んで一礼した。
その時の衝撃を何と語ろうか。言えることは目の前が真っ暗になった、ということだけ。地面が揺れた心地すらした。

違うそうじゃないやめてくれ。
何もかも忘れてしまったというルルーシュにそう言うことはできない。だから代わりに内心を隠して微笑んだ。こんな時でも己を装えるのか、という嘲笑が含まれていないことを望む。

どうか兄と呼んではくれないかな?ルルーシュ。

けれどそんな風に装っても、声が震えていなかったかどうかは自信がない。


「ルルーシュ」
不安に揺れる目、己を責める目に抱きしめてやりたいと思う。
抱きしめて大丈夫と囁いて、髪を撫でて、頬に額に口づけて。けれどそれを耐えて、ただ微笑む。
「君が自分を責める必要はないよ」
「ですが兄様」
「確かに君に忘れられたのは悲しいし辛い」
「…はい」
「けれど君の不安には及ばないだろう」

目が覚めれば知らない場所、知らない人間。そして真っ白な自分の記憶。
何を聞いても知らないことばかりで、知っていたはずのことをもう一度覚え直す。
何を信じていいのか、何を疑えばいいのかも分からずに。

それはどれほどの不安だろう。どれほどの恐怖だろう。
それを思えば、忘れられたと嘆く己は取るに足りぬ。

…そう言いきかせているだけだけれど。

「兄上も姉上もそう思っていらっしゃるよ。君が申し訳なく思えば、特に兄上は逆に気になさるからね。
君は元気な姿を見せて差し上げるだけでいい。それだけで十分なんだよ、ルルーシュ」

目を揺らしていたルルーシュが、じっとシュナイゼルの目を見つめる。そしてだんだんと揺れていた目が安定して、ほ っとしたように小さく微笑んだ。

「はい、兄様」


怖い、と思う。どこまでなら許されるだろうか。それが分からない。
髪を撫でるのは?頬に触れるのは?手に触れるのは?
抱きしめること。親愛の口づけを送ること。どこまでが許される?
以前は許されていたことを、今の彼女が許してくれるかどうか。それが分からない恐怖。

何故怖いと思うのか。拒絶が怖い。もし怯えられたら?だから怖い。
何故、何故、何故。妹だ。兄が妹にそうすることに何故躊躇う。何故恐怖する。
ルルーシュも兄と認識している。だから殿下ではなく兄と呼んでくれる。だから安堵の笑みを浮かべてくれる。ならば何も怖れることなどないというのに。兄妹、なのだから。
なのにどうしてだろう。兄様と呼ばれる。安心したように笑ってくれる。その姿に、ああ、どうしてだろう。





向けられる意識が足りないと、心のどこかで叫びを上げている。



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