愛しているわ、と囁く声が戒める。

「愛してるよ、グレイシア」

妻は目を見開いて、そして心から嬉しそうに微笑んだ。
妻が纏う赤い血に染められたドレスは、過去自分が贈ったもので。
それを妻が死に装束に選んだのは、それほどまでに愛されていたからか。

流れ落ちる涙は、もう動かぬ妻の上へ。

「グレイシア」

強く強く抱きしめて。
そうしてその向こうに、妻と同じく血に染まった女性を見る。

「…ミーア」

アスランと関わったがために。
ラクスと同じ姿、同じ声であったがために。

「ごめん、ミーア。ごめん」

妻が殺した少女に、アスランは妻を抱きしめたまま、ただ謝り続けた。


* * *


血の匂い。
赤い髪と灰の目の幼子は、ゆっくりと顔を上げた。そしてうさぎのぬいぐるみを抱いて立ち上がる。
静か。そう思いながらドアを開け、外を覗く。より深い濃い血の匂いを感じ、幼子は躊躇いもなくその先を辿って歩く。
この先は幼子の父親がいるはずの部屋だ。ぺたぺたと裸足で廊下を歩いていると、聞こえる話し声。
片方は父親だ。何やら叫んでいるらしいが、何を言っているのかは分からない。対する相手の声は父親以上に聞こえない。
幼子は目指した部屋のドアの前に立つと、踵を上げてノブに手をかける。そしてゆっくりと回すと、見える薄暗い部屋。


「さようなら、―――?」


嘲笑うような響きの声の主は、幼子の父親の心の臓にナイフを埋め込んでいた。
幼子がノブから手を放すと、ドアがキイッと音を立てたのに気づいた男が振り返った。
男がナイフを抜くと、幼子の父親がずるっと床に倒れた。見つめ合う男と幼子。

「死んだの?」
幼子の静かな問いに、死んだような目をした男は口を歪めた。
「ああ」
「ステラは、どうしたらいい?」
ステラ、と男が唇だけで繰り返す。ステラは父親には見向きもせず、男だけを眺める。
父親が死んだ。ステラを縛るものはなくなった。もう自由だ。
けれどステラは生を受けてからずっとここにいた。外など知らない。だからどこにもいけない。
男は血が滴るナイフをそのままに、空いている手をゆっくりと差し出した。

「おいで、ステラ」

* * *


「おはよう、アスラン」
自分の上にまたがっている養い子の声で目が覚めるたアスランは、至近距離で見えるその目に溜息をつく。
「おはよう。どきなさい、ステラ」
「こんな美少女に乗られてるのに…」
むう、とした顔をするステラの金の髪を撫でると、アスランはそうだなとそっけなく返す。そしてどきなさい、と再度言う。
ステラの赤紫の目が不満で彩られるが、気にせずその体を軽々と抱き上げ脇に下ろす。
そしてそのままベッドを降り、着替えを始めた。

「アスラン、好き」
「ああ、俺も好きだよ」
「ちがうの。好きなの」
「そうか」

子供の頃からずっと好きだと言い続けてきたステラは、今ではその好きに娘としてではなく、女としての好きを乗せている。
それに気づいているくせに、アスランは気づいていない振りでさらりと流す。

アスランはステラの養父だ。年も二十の開きがある。それでも構わなかった。好きなのだ。
気づいたのは二年前。同級生の男の子にも先輩にも感じない胸の高まり。胸の痛み。
アスランがステラに微笑んでくれれば舞い上がるし、アスランが他の誰かに微笑めば辛くて悲しい。時には相手に憎しみさえ湧く。
それが恋だと認めれば、もうアスランしか見えなかった。アスラン以外いらなかった。
アスランはステラを可愛がってくれる。大切にしてくれる。けれどそれだけでは嫌だった。

「アスランだってステラのこと、好きでしょう?」
「そうだな」

大切な愛娘だと続けるアスランを、ステラは睨みつける。
気づいている。ステラがアスランを好きだと言い続けているうちに、アスランの中のステラが変わったこと。
娘としてだけでない視線でステラを見ることがあること。
なのにアスランは認めない。その想いから敢えて目を逸らす。そんな想いは持っていないことにする。

「うそつき」
「本当だ」

ステラが娘だから認めないわけではないとステラは知っている。
アスランがステラを女として見ていることを認めない理由、それは。

「そんなに奥さんが好き?」

ぴしっとアスランの動きが止まる。息さえ止まったようなその様子に、ステラは悔しそうに唇を噛む。
アスランの左手薬指にはシンプルな指輪がはめられている。出会って五年、一度も外されたことのない指輪が。

もう、いないのに。
アスランの妻であった人は、もうこの世にはいないと聞いている。
なのにアスランは、いまだに心を残している。

「愛してるの?まだ」

「 愛 し て る よ 」

笑っているのか、それとも泣いているのか。震えた声で返された言葉に、ステラは顔を歪める。

自分には言ってくれない言葉。
もういない人に捧げられる言葉。

胸が切り裂かれたように痛い。

「馬鹿!!」

投げた枕は、避けられることなく養父の頭に直撃し、ステラはそのまま走って部屋を出て行った。

悔しい悔しい悔しい。痛い痛い痛い。哀しい哀しい哀しい。
心の中が嵐の様に吹き荒れた。

部屋に残されたアスランは出て行ったステラを追いかけることなく、床に落ちた枕を拾うために腰を曲げる。
拾い上げたそれをぱんぱんと叩いて、口元を歪める。

『アスラン、好き』

娘の声に含まれた熱。娘の目に含まれた強い光。それはアスランに心地よさを与える。
けれど。

『愛しています、あなた』

微笑んでそう告げてくれた妻を、アスランは決して忘れられなかった。
アスランを愛したがために妻が辿った最期を、忘れることなどできなかった。

アスランの父、パトリック・ザラは、現在政界の頂点に立つシーゲル・クラインの政敵であった。
パトリックが倒れ、帰らぬ人となったことで、クライン派とザラ派に分かれていた政界は一つとなった。
けれどそれは表向きだけのこと。水面下ではいまだ争いは繰り広げられており、ザラ派はパトリックの一人息子であるアスランをパトリックの跡継ぎとして望んだ。
けれどそれより先に手を打ったのがクライン派。彼らはアスランがクライン派の敵となりえぬことを知っていた。それだけの材料をクライン派は手にしていた。

一つはアスランが争いの火種となる自分を厭っているということ。
そしてもう一つ。シーゲル・クラインの愛娘ラクス・クライン。彼女は一時とはいえ、アスランの婚約者であった。
それはまだクラインとザラの対立が明確化していない頃のことで、完全に敵対した瞬間に破棄されたものだった。けれど仲睦まじく過ごしていたことを知っていた。婚約破棄されたとはいえ、親同士が対立しているとはいえ、アスランがラクスの幸せを願っているだろうことを知っていた。そのラクスを悲しませるようなことを、アスランが承諾するはずがない。

故にクライン派はアスランに望んだ。クラインに膝を折ることを。
ザラの名を継ぐ者がクラインに膝を折る。それはザラがクラインの下につくということだ。
アスランは悩む暇も与えられなかった。それを与える時間が惜しかった。
だから彼らはラクスにアスランを説得してほしいと、そう願った。そして彼女の恋人である少年にも。
ラクスはアスランの元婚約者。ラクスの恋人はアスランの幼馴染。
アスランが大切に想う二人は、クライン派の思惑など知らずにただアスランのためを思って説得をした。
心配だと。アスランが辛い目に遭うのではないかと。ただその一心で。

かくしてそれは成った。
アスランはクラインに膝を折り、加えてクラインの重鎮たる男の娘を娶った。
クライン派がザラがクラインの下についたとしらしめるためには、もっと確実なものが必要だと考えたためだ。
白羽の矢が立ったのは、腰まで緩やかに波うつ薄茶色の髪、アスランと同じ新緑の目を持つグレイシア。
十二の頃に両親を亡くし、遠縁の夫婦に引き取られた彼女は、決して冷遇されていたわけではないようで、いつも日向のような柔らかい微笑みを浮かべていた。

本人達の意思のない結婚にアスランもグレイシアも戸惑い、不安に思ったが、思ったよりも穏やかで笑顔溢れる夫婦生活を送ることができた。時が経てば経つだけ二人は仲睦まじい夫婦となった。
アスランの結婚に憤り、心配していた友人、イザークとディアッカが胸を撫で下ろすぐらいに。
けれどそれは三年経ったある日、音を立てて崩れていった。

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