皇帝の命令。それが出てしまえば逆らうことはできない。
皇帝の息子とはいえ臣下であることに変わりはなく、相応の理由なくして逆らうことは許されてはいない。
理性はそう理解している。納得していないのは感情だ。
「兄上」
笑い混じりの呼び声に寄り添う妹を見下ろすと、妹は可笑しそうに目を細めて兄を見上げている。
「楽しそうだね」
「はい、とても」
くすくすと笑い出した妹は、兄の腕に添えていない方の手を伸ばし、灯りの反射で輝く金の髪をそっと払い、白い頬を撫でる。
「子供のように拗ねる姿がとても可愛らしいので」
「…男に可愛らしいは褒め言葉ではないよ?」
けれど他ならぬ最愛の妹の言うことだ。嬉しくないわけではない。
頬に添えられた手に頬を寄せる。
「明日は一日、機嫌をとってくれるかな?」
「どうぞ、ご随意に」
そうして軽く口づけて、兄は妹を籠の中からほんの一時、解き放つことを許した。
塔の上のラプンツェル
「ルルーシュお姉様!」
「ルルーシュ!」
シュナイゼルの手に引かれて広間へと入れば、ざわっという音とルルーシュを呼ぶ妹達の声。
八年振りに会う妹達、ナナリーとユーフェミアが飛びつき、よろめいたルルーシュをシュナイゼルが支えた。
「お姉様、お会いしたかったです!」
「元気にしてた?ルルーシュ」
涙目で、けれど笑顔の二人にルルーシュは微笑みを返す。
「二人共、綺麗になったね。落ち着きは相変わらずのようだけど」
「それはお姉様が…!」
「そうよ。ルルーシュが全然連絡をくれないからじゃない!」
八年だ。八年も会えない、声も聞けない状態だったのだ。ようやく会えたのだから、これぐらいは許してほしい。
けれど二人の後ろでコーネリアが額を押さえていた。
「ユフィ、ナナリー。ここをどこだと思っている」
あ、と二人が気まずそうに視線を床に落とした。
ここは夜会会場だ。他の皇族貴族が集っている。兄弟だけではないのだ。その振る舞いの一つ一つが己の評価へと繋がる場なのだから、とコーネリアから念入りに注意されていた二人はルルーシュから離れ、今更ではあるがドレスの裾をつまんで一礼した。
「シュナイゼルお兄様、ルルーシュお姉様。不躾な振る舞い、申し訳ありませんでした」
ユーフェミアに続いて、申し訳ありませんでしたと告げるナナリー。それにシュナイゼルが微笑む。
「元気そうで何よりだね、ユフィ、ナナリー。学校はどうだい?楽しんでいるかい?」
暗に許しの言葉をもらった二人は、はい!と顔を上げた。そして学校で何をした、何があったとシュナイゼルとルルーシュに語り始めるのに、コーネリアは兄上は甘い、と息を吐く。妹達は帰ったら説教だ。
そして二人の話を微笑みながら聞いているルルーシュを見る。
この前、一度会いに行った。
シュナイゼルの宮だ。シュナイゼルの許可を取らねばならないし、先触れの使者もいる。けれどルルーシュへの対面が叶うことはなく、無礼を承知で直接訪ねて行ったのだ。
そしてシュナイゼルに抱いていた不安が増幅した。
早くどうにかしなければ。そう思わせられるほどに、ルルーシュはシュナイゼル一人で世界を完結させようとしていた。
外への興味もない。兄弟姉妹への興味もない。話せば喜ぶけれど、自分から尋ねることはしなかった。行きたい、会いたいとも一言も言わなかった。それは異常なことだといえた。
早く、そう早くシュナイゼルの宮から出して、シュナイゼルから離さなければ。今ならまだ間に合う。
今夜のことはいい機会だ。皇帝がどういうつもりで参加せよとルルーシュに命令を出したのかは知らない。
だがシュナイゼルではない人間と触れあい、宮の外を知る。それがシュナイゼルによって強制的に閉じられたルルーシュの世界を広げることになる。そうなればきっと、ルルーシュにコーネリアが言ったことも理解できるだろう。
そう一先ずの安堵の息を吐いたコーネリアの元に、シュナイゼルがルルーシュを置いてやってくると微笑む。
「やあ、コーネリア。いつもの軍服もよく似合っているけれど、ドレス姿もよく似合う。綺麗だよ」
「…っ、ありがとうございます、シュナイゼル兄上」
シュナイゼルのルルーシュへの行いを異常と知ってなお、この兄の言葉に思わず頬が染まる。
綺麗な顔と甘い微笑み、そして柔らかい声で褒められてそうならない女性がいたらお目にかかりたい。
「ルルーシュの側から離れて大丈夫なのですか?」
シュナイゼルが離れた途端、動く素振りを見せ始めた者が幾人も。
それほど離れてはいないからまだ妹達に近寄ろうとする者はいないけれど、一人が動けば連鎖して動き出すだろう。
それを分かっていて離れたシュナイゼルを怪訝そうに見れば、大丈夫だよと頷きが返る。
「彼らが動く前に父上がお出でになるだろう。それに久しぶりの再会だ。邪魔はしないよ」
妹達を目を細めて見るシュナイゼルに倣って、コーネリアも妹達を見る。
楽しそうだ。それに思わず笑みが洩れたコーネリアの耳に、これが最後かもしれないしね、と笑み混じりの声が届く。
はっとしてシュナイゼルと見上げれば、近づく給仕からワインを受け取っていた。
一つはコーネリアに、もう一つは軽く口に含んで、シュナイゼルは楽しそうにコーネリアを見る。それを睨みつけて、兄上、と低い声。
「ルルーシュを私に預けていただけませんか」
「またその話かい?」
最近ずっとその話だね、と肩をすくめるシュナイゼルから受け取ったワイングラスを持つ手に力を入れる。
「ルルーシュの人生は兄上ではなくルルーシュに決めさせるべきです。あの子を外に出してください。兄上だけの世界でいさせることは、あの子のためにはなりません」
「そうかな」
「そうです」
もっと様々なものを見せるべきだ。もっと様々なものと触れ合わせるべきだ。
シュナイゼルの宮に閉じ込めて、シュナイゼルだけと触れ合うのではなく、もっと広い場所に出すべきだ。
けれどシュナイゼルは笑うのだ。
「君と私に違いはないように思うけれどね」
「は?」
シュナイゼルがコーネリアを流し見る。その妖艶さに胸が跳ねた。
思わず空いている手で胸元を握ると、白い手袋に包まれた手が伸び、コーネリアの頬を撫でる。
「コーネリア、君の守り方は私とよく似ているよ?君もまたユフィを自分の世界で閉じさせようとしている」
ナナリーはまだいい。ユーフェミアよりは多くの選択肢を与えているようだから。けれどユーフェミアは違う。
外にも出す。学校にも行かせる。けれど恐ろしいものや醜いものを徹底的に排除している。 ユーフェミアが行く場所は安全でなければいけない。ユーフェミアがつきあう友人はコーネリアの納得する相手でなければいけない。ユーフェミアのことでコーネリアが知らないことがあってはいけない。全てはユーフェミアを守るために。
…自身の安心のために。
「な…っ」
目を見開いて絶句したコーネリアにシュナイゼルはくすりと笑って、頬に添えた手を滑るようにして離す。
違う、と言えないのは何故か。大切な大切なユーフェミア。
ユーフェミアがいつでも笑顔でいられるように、いつまでもあの真っ白な心でいられるように。それをずっとずっと守っていくために心を砕いてきた。
学友も身分にふさわしい、そしてユーフェミアに危害を加えないと判断した者だけを選んだ。護衛も信頼の置けるものをつけているし、変わったことがないか報告もさせている。
けれどそれは全部全部ユーフェミアのためだ。ユーフェミアを守る、ため。ユーフェミアが健やかに過ごすように配慮するのが、姉である自分の役目なのだから。
けれどどこか青白い顔をしたコーネリアに、シュナイゼルはコーネリア、と呼びかける。
「ラプンツェルを知っているかい?」
両親の盗みの代償に魔女へと差し出された娘、ラプンツェル。
魔女に育てられたラプンツェルは高い塔の中から出たことがなかった。出入り口すらないその塔から出るためには、ラプンツェルの長い長い髪をつたって降りるほかないからだ。
ラプンツェルは高い高い塔の中。魔女と二人っきり。彼女の世界は魔女ただ一人だけ。
「…で、すが、王子がやってくるのです、兄上」
そうだね、とシュナイゼルが頷く。
どれほど閉じ込めようと、外へと連れ出す者が現れるのだ。ラプンツェルがそうであったように、ルルーシュにも。そして、ユーフェミア、にも…?
ぞくっと背筋に走る何かに、コーネリアが自身の腕を握る。
ラプンツェルは王子と逢瀬を繰り返す。いつか必ずここから出してあげるから、という王子の約束を喜びに。
けれどある日、魔女にその逢瀬がばれてしまうのだ。そうしてラプンツェルは怒った魔女に荒野へと捨てられる。
そうとは知らない王子はラプンツェルに会いに塔の中へ。長い長い髪をつたって入ればそこにいたのは魔女。魔女に突き落とされ、王子は茨の棘で両目を傷つけられる。
「ラプンツェルと王子は再会する。王子の子供を生み育てていたラプンツェルと王子は幸せに。そんな話だったね」
「…何がおっしゃりたいのですか、兄上」
ラプンツェルをルルーシュに、魔女をシュナイゼルにたとえるのならば、シュナイゼルは失うことを知っていることになる。いつかルルーシュを失うことを知っている。そんな様子は一切見えないというのに。むしろその逆。失わないつもりであるとしか見えない。
ラプンツェルをユーフェミアに、魔女をコーネリアに重ねることはしない。恐ろしくてできない。考えたくない、と見ない振りをしているのだ。強く強く腕を握る手がそれを証明している。
シュナイゼルはそんなコーネリアに気づいているだろうに、気づかぬ振りでワインを口に含み、こういう話もある、とワイングラスを眼前にかざす。
「王子とラプンツェルの逢瀬を知った魔女は、二人の仲を許すんだ」
「…は?」
「王子はラプンツェルを連れて国へ帰る。二人は幸せに日々を暮らすんだよ」
綺麗なハッピーエンドだね、と笑って、でもね、とシュナイゼルがコーネリアを見る。
ワイングラスを下ろし、残るワインを揺らすと、コーネリアの手がつけられていないワイングラスにカツン、とあてる。
「ラプンツェルはある日突然姿を消してしまうんだ」
コーネリアに顔を近づけ、囁く。
「魔女はラプンツェルを連れて行く際、王子にこう言っていた。あの子は私が育てた。あの子のことを私以上に知る者はいない。
あの子は必ず私の元へと帰ってくるだろう」
コーネリアが目を見開く。
近くにあるシュナイゼルの目を見て、ぞっとした。それは柔らかい藤色であるはずなのに、深い深い色をしているように見えた。
手から力が抜け、ワイングラスが滑り落ちようとするが、シュナイゼルの手がコーネリアの手に重なったため、それをまぬがれる。
「分かるね?コウ。私の可愛い妹」
「あ、に、うえ」
「ルルーシュ、あの子は私のものだ。全て。私があの子を手放したとて、あの子は外に満足できない。他に満足できない」
「兄、上…っ」
「あの子を満たせるのは私だけだ」
夜会が終わり、シュナイゼルの宮に戻ればルルーシュが呟いた。
「兄上の浮気者」
おや、と眉を上げたシュナイゼルをルルーシュは睨みつけて、私には兄上だけなのにと拗ねた口調。
「私もお前だけだよ」
「嘘です」
「何故だい?」
「コーネリア姉上と大層仲睦まじくいらっしゃったでしょう」
頬は撫でる、手は重ねる、顔は近づける、流し目はする。見ている人間がどれほど頬を赤らめていたことか。どれほどの人間が二人の仲を邪推したことか。それをどんな思いで耐えていたことか。
そんな恨み言にシュナイゼルが笑う。笑ってルルーシュの腰を抱き寄せ、それはコーネリアが可哀想だよとルルーシュの額に口づける。
「話をしていたんだよ。お前を引き取りたいと言うからね」
もう二度とそんな話は出ないだろうね、との言葉に、ルルーシュがようやく表情を緩めた。そうですか、とシュナイゼルにもたれかかると、シュナイゼルがその体を抱き込む。
「久しぶりの外はどうだった?」
「疲れました」
髪を撫で、掬い、そしてまた撫でるを繰り返すシュナイゼルの胸の中で目を閉じる。
「外は、騒がしいです。雑音は多いし、音は大きいし、人が多くて息苦しいし」
静かな宮で暮らすルルーシュには、夜会は拷問のようだった。いや、夜会に限らず外は。
この宮から出てしばらくは外を新鮮だと思えた。けれど行き交う人、集中する視線、聞こえてくる会話。そのどれもに、もう帰りましょうと言いたくなった。シュナイゼルと暮らす宮がいい。そうでないと落ち着けない。
「楽しそうに話していたじゃないか」
「…無理です。ユフィもナナリーも可愛いです。でもそれだけです」
喜んでくれたのは嬉しかった。けれど高い声、はしゃぐ声が耳に辛かった。
話の内容に相槌を打ってはいたけれど、興味は持てなかった。
おそらくは、今までルルーシュが身を置いていた環境との差が大きすぎたということなのだろう。
シュナイゼルに引き取られた五年は、テロが活発なエリアにいた。そのため外に出ることはなく、シュナイゼルが仕事をしている間は執務室に。そうでない間はシュナイゼルとの部屋にいた。
扉の前に護衛。部屋の中にはシュナイゼルとルルーシュ。時々人が出入りするぐらいで、シュナイゼル以外と接することはあまりなかった。
本国に帰って三年は、シュナイゼルの宮の与えられた部屋の中にいるか、庭に出るかぐらいだ。それ以外の場所には出なかった。
会う人もシュナイゼル以外は、時折侍女が訪れるぐらいだ。ここでも人との接触はないに等しい。
そういう風に八年、静かに静かに、そしてゆったりと過ごしてきたのだ。久しぶりの外や触れ合う人は、ルルーシュにとっては煩わしい。
「それにユフィとナナリーも私のことは、おそらくそういう姉もいたかもしれない、という認識だと思いますし」
離れていた時間があまりに長すぎる。
十歳にも満たない頃に別れて、今日まで会うことも連絡することもなかったのだ。日々の暮らしの中でその存在が薄れていくのは当然だ。ルルーシュがそうであるように。
「もう会う気はないと受け取ってもいいのかな?」
「否と申し上げましょうか?」
シュナイゼルの胸から顔を上げ、にっこりと笑うと、シュナイゼルがくすりと笑って耳元に低音を注ぎ込む。
「ラプンツェルは魔女から逃げられないのだよ、ルルーシュ」
「そうあるように魔女が育てたからでしょう?シュナイゼル兄上」
その通り、とシュナイゼルが頷いて、ルルーシュへと柔らかい口づけを落とした。
――鳥は籠へと戻り、自ら檻を閉めた。
ガシャン
end
リクエスト「伝える言葉、12のお題6」の続編でした。
・パーティのパートナーとして、久方ぶりに公の場に出るルルーシュ。
・ルルーシュを自慢したくて仕方がない自分のものだと見せつけるシュナイゼルお兄様。
とのことでしたが、最後が…あれ?なのでちょっと補足を。そしてコーネリアに酷くてすいません(汗)。
ラプンツェルの話は初めの方が昔、読んだラプンツェルで、もう一つの方は残酷なグリム童話が流行った頃に
立ち読みしたラプンツェルです。魔女の言った言葉は裏的な意味でした。
リクエスト、ありがとうございました!
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