犠牲の代償


優しい人。悲しいほどに優しい人。そんな人に出会った。
ラクスの歌声に合わせて揺れるハロを指でつつきながら、ラクスは微笑む。

以前、連合の艦に捕らわれていたことがあった。敵艦の中。ラクス自身は敵だとは思っていないが、彼らは違った。ラクスを敵だと認識していた。無力な少女。けれどコーディネーター。空の化け物。嫌悪の対象。そんな視線を向けられ続けたのは正直辛かった。だからといって同じ視線を返そうとは思わないけれど。
そんな中、その艦の主力であるキラが見せてくれる気遣いはとても嬉しいものだった。同じコーディネーターだからということもあるのだろうが、キラがラクスに優しくしてくれるのはキラ自身の性格のためでもあるのだろう。ラクスはキラと会うことがとても嬉しかった。待ち遠しかった。

「あら?」
カタ、という音を耳にしてラクスが顔を上げると、そこにいた一人の少年が小さく笑った。まだ戸惑いが抜けない笑みだ。
「おはようございます、キラ様」
「おはよう、ラクスさん」
「ご気分はどうですか?」
「うん。大分いいよ」
ありがとう、と言うキラの側まで歩く。そして顔を覗きこむと、キラが少しのけぞった。顔色は…うん、いい。
キラをクライン邸に招いてすぐの頃、キラの顔色は悪かった。精神的な負荷がかかった場所から解放されたことで、今まで無理をしていた分が一気に心身にかかったのだろう。しばらく寝込むことになった。けれどもう大丈夫だろう。ラクスはよかったですわ、と微笑んだ。
キラが本当にありがとう、と笑うと、ラクスはいいえ、と首を横に振った。そしてキラの手を引いて今まで座っていた場所の向かいへと誘う。
「それで、トール達のことなんだけど」
席に座るなりキラが不安そうにラクスに言う。ラクスも自分の席に座って頷く。
「わたくしも手を尽くしておりますが、いまだAAに乗艦していらっしゃるようですわ」
「…そう」
キラが目を伏せる。それをラクスが辛そうに目を細めた。

AAに乗艦していた学生クルーの中、キラだけがAAから降りた。…いや、降りたというのは正しくはない。気づけば降りていたのだ。キラはその前後を覚えていない。目が覚めたらラクスが心配そうに顔を覗きこんでいたのだ。シャトルに乗って漂っていたのを見つけたのだという。
ラクスが言うにはキラは薬物を投与されていたらしく、誰かがキラを眠らせてシャトルに乗せたのだろうとのことだった。

「キラ様。お友達を心配されるお気持ちは分かります。わたくしもできる限りのことはいたしますわ。ですからキラ様はまずご自分のお体をお労りください」
「ラクスさん…」

真実をキラは知らない。
全てはキラを救いたいと願ったラクスの行為ゆえの現状なのだと、キラは知らないからこそラクスにありがとうと微笑んだ。

「さて、どう返すべきだろうな?」

見下ろす先、眠るのはクルーゼ隊エース、アスラン・ザラ。弱った体を癒すために眠りについている。
彼は婚約者、ラクス・クラインの頼みでクライン邸を訪ね、そして休日を過ぎてもヴェサリウスに戻ってこなかった。
見つかったのはクルーゼ隊が追っている連合の艦、便宜上足つきと呼んでいる艦の中で、だ。人質。
彼らはストライクを出撃させることはせず、追いついたクルーゼ隊に対して国防委員長の一人息子を人質としてクルーゼ隊から逃げおおせた。

驚いた。誰もが驚いた。どうしてそこにアスランがいるのだと。行方不明の彼が、どうして足つきに。
丁重に扱ってはいるようだったが、多少衰弱しているようでもあった。彼は優秀な軍人だ。逃げられても困るし、艦の情報を奪われても困る。だからこその衰弱なのだろう。だがそれだけではないように見えた。
画面越しに目が合ったアスランは酷く暗い色を目に宿していた。そして唇が音を発することなく言葉を紡いだ。ラクス・クライン、と。

ラクスは箱入りのお姫様だ。周りにもてはやされて育ったお姫様。慈悲深く平和を誰より愛するお姫様。
けれど侮ってはいけない。ラクスは優しいが、ただ優しいだけではない。優しいがゆえに残酷になる。その優しさを向ける対象のために切り捨てるべきものがあれば切り捨てる。利用できるものがあれば利用する。そして自分が持つ力を使うことに躊躇いはない。プラントの平和の歌姫『ラクス・クライン』としての力。プラントの平和の父『シーゲル・クライン』の娘としての力。強大な力を。
それに遅まきながら気づいた。人質となったアスランの唇からその名が発せられて初めて。

クルーゼは口元を上げた。笑っているのだが、胸の内は違う。笑みなど一欠けらもない。これほどの怒りはどれほどぶりだろうか。
クルーゼは自分の手の中にある駒が他人の好き勝手にされることを、場合によっては愉快と思うことがある。だがそれが気に入りの駒であれば別だ。例えその駒を好きに動かしたものが駒の対なる存在であってもだ。

『どうにかしてキラ様をお助けできないでしょうか?』

アスランが最後に会った彼女の言葉だ。それが何故かひっかかったのだとアスランは言った。
ストライクのパイロット、アスランの幼馴染。その彼を彼女は助けたいのだと。優しい人。悲しい人。好ましく思う人。
アスランとラクスは婚約者同士ではあるが、親が決めた婚約者だ。大切にしたいと思ってはいても、そこに恋情はなかった。だからこそ己のひっかかりを嫉妬だとは思わないアスランは、ラクスを訪ねたはずが目が覚めれば敵艦の中。認めたくはなかったが、ラクスがキラを助けるためにアスランを犠牲にしたのだと気づいた。

「確かにアスランを奴らに渡せば、我らは容易く手を出せない。だが忘れられては困る。彼は軍人なのだよ。ラクス・クライン、あなたが知る優しいだけの婚約者ではない」

衰弱しても、婚約者の裏切りに絶望しても、アスランはできることをした。
あのまま連合の艦に連れられていけば、足つきを逃がすためだけの人質以上のものとなることは確かだった。それは愛する父、パトリック・ザラの足を引っ張ることだ。それは大なり小なり愛する故郷、プラントに不利になることだ。まだ身分が知られていなければよかった。けれど足つきはアスランの身分を知らされていた。だからこそアスランは己の命を失おうとも己の身を足つきから逃がす必要があった。

盾のつもりだったのだろうか。アスランを足つきに引渡したのは、ラクスの優しさの対象のための盾。だがアスランに盾としての役目を守る義務などない。アスランにとってラクスの優しさの対象が重要な意味を占めていても、もうそこにその対象はいないのだ。その対象の大切なものが、友人がそこにいようと彼には関係がない。アスランの行動を妨げるものにはならない。

「足つきは堕ちた」

アスランが引き起こした足つきの内部での混乱に乗じて、アスランの救出作戦を開始した。それが成功したのは足つきにろくに戦闘要員がいなかったこと、学生クルーが平静を失くしたこと、何故か乗っていた一般人、ヘリオポリスの避難民が恐怖から錯乱したこと。それらの要素も多くを占めただろう。

「キラ・ヤマトの大切な友人は緊急措置とはいえ軍に籍を置いている。つまりは捕虜。それをキラ・ヤマトが知ればどうするのだろうな」

加えて自分を助けるために幼馴染を犠牲にしたのだと知ったなら?今、病院に収容されているのだと知ったなら?ラクスがアスランが言う優しいキラは一体何を思うのだろう。
愉快だ。ああ、愉快。

「私の部下に手を出したこと、後悔させてさしあげよう、平和の歌姫殿」

眠るアスランの髪を掬って、クルーゼはくっと声を洩らす。

平和の歌姫が罪背負う歌姫となる瞬間は、さぞかし滑稽で愉しい光景だろう。

「どうかなさいましたの?キラ様」
「ラクスさん…あの、アスランに会えないかな?」
「アスランに、ですか?」
困ったようにラクスは首を傾げる。それにキラはやっぱり無理かな、と目を伏せる。

アスランはザフトだ。軍人だ。今も戦場にいるだろう。きっとAAを追っている。会いたいからといって会える状況ではない。分かっているけれど、会いたかった。
キラがいないAAにはストライクを操れるパイロットがいない。フラガのMA一機でG四機を相手にするなど無謀だ。ラクスはまだAAは堕とされていないと言うが時間の問題だろう。
アスランに会ってどうにかできるとは思わないけれど、それでも会わないよりはいい。AAには友達が乗っているのだ。キラが拾ったヘリオポリス市民が乗っているのだ。それをアスランに伝えたい。いや、友達が乗っていることはもう知っているはずだけれど、それでも訴えたい。助けてほしい。見逃してほしい。聞いてはもらえない願いだと分かっているけれど。

「僕だけがこんな安全な場所にいて。でもトール達は今も戦場にいるんだ。僕がヘリオポリスでストライクに乗ったりしなかったら、トール達がAAに乗ることもなかった。僕がシャトルを拾わなかったら、フレイ達は戦艦になんて乗らなくてよかった」

そう思うと堪らない。何もせずにいられない。
ぐっと拳を握って強く目を瞑ると、ラクスがキラ様、とそっとその拳を両手で包んだ。
目を開けるとラクスがふわりと笑った。

「分かりました。アスランにお願いしてみますわ」
「ラクスさん…」
「ですが、戦場にいらっしゃるアスランと連絡が取れるかどうかは分かりません。取れたとしてもこちらにいらしてくださるかどうかも分かりません」
それでもよろしいでしょうか。そう言うラクスに頷く。ありがとう、と微笑む。
無理を言っている。プラントにとって敵であるストライクに乗っていたのに、ラクスはキラを拾って養生させてくれている。トール達のことを気にかけてくれている。そしてキラの頼みを聞いて、アスランと連絡を取ってくれようとしてくれている。感謝してもしたりない。
「本当にありがとう」
「いいえ。困った時はお互いさまですわ。わたくしもキラ様に助けていただきましたし」
その恩返しができることは嬉しいことなのだと、そう言ってくれるラクスはキラにとってまるで女神のように輝いていた。

アスランに連絡など取れない。ラクスはそのことをよくよく知っていた。取れない理由を作った本人なのだから当然だが。だがキラにそれを伝えるわけにはいかなかった。
ラクスはキラを救いたかった。もうあんな悲しい泣き方をさせたくはなかった。もう心を体を削ってまで戦ってほしくなかった。キラにもらった優しさ、それを返したかった。だからキラの代わりにアスランを差し出したのだ。
アスランは国防委員長の一人息子だ。人質としての価値がある。けれどいつまでもその価値が続くわけではない。いつかは切り捨てられるだろう。
今、プラントは独立をかけて戦っている。奪われた多くの命のために戦っている。そのために最高評議会議員の子息も最前線で戦っているのだ。戦場という死ぬ確率が高い場所で。その高い確率を知ったうえで覚悟して子息もその家族も戦っている。だからこそアスランという人質はいつまでも使えない。けれどAAが安全な場所に逃げるまでは持つだろう。
アスランはラクスの婚約者ではあるけれど、それでもキラを救いたい、癒したいという気持ちは強かった。そしてアスランがキラを大切に思っていることを知っていたから、きっとアスランもラクスのその気持ちを否定したりはしないだろうと思った。AAで目覚めた直後はともかく、落ち着けば彼は同意してくれるのではないかと。
だからといって許される行為ではない。分かっている。だからラクスは自分がした行為を胸の内にしまいこむ。キラには生涯知らせない。知れば傷つく。自分を責める。キラにこれ以上の傷はつけさせない。
ラクスはそう誓って、キラの隣で空を見上げる。

今日は一日晴天だ。明日は雨。だから今日は庭でお茶会をしよう。ラクスがキラの手を引いて、ハロが二人の周りを跳ねて。そうして優しい場所で穏やかな時間を過ごすのだ。

明日は、雨。

end

リクエスト「種設定。AAにてアスを身代りにクルーに売ったラクスと、アスの救出に全力をかけたクルーゼの怒りと敵意」でした。な、何か違う…?
すいません!これ以上思いつきませんでした(汗)。背景とか色々考えるせいだろうか…。

隊長は自分が愉しめるならいいけど、自分の意図しないところで他人によってお気に入りを壊されるのは許せないんじゃないかなあ、と思ったりしました。そしてアスランはラクスに薬盛られました。
キラは…色々考えたんですが、マリューさんと交渉したとか、誰か潜り込ませたとか。
でもどれも何かいまいちだったので曖昧にしました(おい)。アスランも曖昧な部分が…。
そこらへんの突っ込みは胸の内でお願いします(汗)。

リクエスト、ありがとうございました!

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